インド
20年昔、管理人は、インドへジャイナ教研修と仏蹟訪問の旅に出た。
そのときの訪問記が、雑誌「求道実行」1989年6月号に、「垣間見たインド」と題して掲載された。
以下にその一部をご紹介する。
デリーを早朝出発。途中ジャイプールに立ち寄って、12時間余り。ようやく到着した、ラドヌーンの町は、満天の星のもとにひっそりとたたずんでいた。
翌朝午前4時半、寒さのためか、目覚める。この町は砂漠に囲まれているため、朝晩は冷え込むのだ。午前5時半朝の冥想と祈りの集いが始まる。堂内は細い明かりが灯っているだけだ。正面にはジャイナ教のシンボルマークが浮かび上がっている。夜明けまでまだ間がありそうだ。ひとときの朝の静寂.尼僧のマントラの響きが、静かに、奏でられる。清澄な響きだ。私は全身を耳にして聴き入る。この調べの中には、彼女たちの信仰生活の一切、すべての想いがこめられているのを実感する。こうして、ジャイナ教研修センターでの、研修生活は始められた。
ここでの生活は予めプログラムが用意されていて、私たちは定められた時刻に定められた場所へ集合することになっていた。プログラムは綿密に組み立てられているので、てきぱきと移動しなければならない。講義、冥想実習、導師アチャリアとの接見質疑応答その他ラドヌーン市内の見学で構成されている。
(中略)
講義の合間をぬうようにして、食事が1日3回それにお茶の時間まで用意されていた。別棟の食堂で私達は壁を背にして横1列になり石床に敷いた布の上にすわる。 ステンレスの食器は床に直に置く。向かい合った人との距離は約1.8m。その間を若い尼僧が、次々に食物をサービスしてくれる。
彼女たちは腰を折るようにして1人1人の顔を覗き込みながら、食器に料理が空になっていれば、さらに何度も勧めてくれる。私が最初に覚えたヒンデイ語は、「もう結構です。」という意味の「バス」という言葉であった。
私達はスタッフの方から、食事中も修行の一部であるから静かにいただくようにとの指導を受けていたが、ついつい隣人とおしゃべりに興じ、とうとう最後までこの癖は直せずじまいであった。
(中略)
夜行列車で到着したベナレスの町は、朝霧に包まれていた。ジャイプルやデリーの町とうってかわって、街並みの緑が瑞瑞しい。ここは、ガンジス河が町の中心を流れ、2500年の歴史を誇る古都だ。聖なるガンガに詣でるため、インド各地から、ヒンズー教徒が絶え間なく訪れる。
私たちの見学は、サルナートからだ。約10キロメートルの道のり。ここは、釈迦が初めてダルマを説かれた地として名高い。私達はまず、ムラカンダクテイ寺院を見学。堂内は、釈迦の誕生から入滅までの一生を示す美しい壁画で飾られている。見学後、近くの小さなみやげ物店で、一行は、数珠を買い求める。
ガイド役をして下さっている、タチヤ夫人の一声で、急に値段が半額近くになるのが面白い。
寺院を出ると、右に巨大な仏舎利等(ダーメクストーパ)がそびえたつ。その周囲は、仏教を保護したといわれるアショカ王時代の遺跡群である。なかでも目を引くのは、現代インド紙幣に印刷され、国章となっている石柱柱頭を飾るライオン像である。本物は、すぐ近くの博物館内に展示保存されている。
タチヤ博士ご夫妻は、終止私たちの先頭に立って、丁寧に案内説明して下さった。
翌朝訪れたガンガのガート(木浴場)は、まだ闇の中であった。私たちが小船に乗り込み、ガンガに漕ぎ出した頃ようやく徐々に明るくなってくる。日の出とともに沐浴の善男善女の数が増している。前方に立ち上る白煙が見える。ここでは24時間、煙の絶えることがないという。死者の遺灰はガンガに撒かれる。
ガンジス河に別れを告げた私達は、一路ブッダガヤへと向かった。
バスにゆられて6時間余り。ブッダガヤ到着は日の沈む頃となっていた。そこは、釈迦が、長年の苦行を経て悟りを開かれた地である。ホテル到着早々、私達はここで思いもかけず、タチヤ博士の講義を受けることになった。そのように手はずが整えられていたのである。題して「釈迦の悟りについて」。ちょうど良い(またとない)場所で、ちょうど良い(またとない)碩学から、ちょうど良い(またとない機会を授かったのである。遠い道のりを同行されたタチヤ博士とこれを企画されたツアーリーダーの龍村氏に深く感謝。
講義は英語でなされたが、通訳の方の力量に助けられ、釈迦が悟りを開かれるまでの歴史とその内容について、8ツの原則に分けて分かりやすく教授してくださった。思わず講義内容に引き込まれ、長旅のつかれも癒される思いであった。
一夜明けて、釈迦が苦行の末、食物を摂って冥想をさらに深めたというネーランジャー河のほとりを訪れ、 ついで、そこで大悟されたという菩提樹と大塔に詣でたたのであった。
(後略)

そのときの訪問記が、雑誌「求道実行」1989年6月号に、「垣間見たインド」と題して掲載された。
以下にその一部をご紹介する。
デリーを早朝出発。途中ジャイプールに立ち寄って、12時間余り。ようやく到着した、ラドヌーンの町は、満天の星のもとにひっそりとたたずんでいた。
翌朝午前4時半、寒さのためか、目覚める。この町は砂漠に囲まれているため、朝晩は冷え込むのだ。午前5時半朝の冥想と祈りの集いが始まる。堂内は細い明かりが灯っているだけだ。正面にはジャイナ教のシンボルマークが浮かび上がっている。夜明けまでまだ間がありそうだ。ひとときの朝の静寂.尼僧のマントラの響きが、静かに、奏でられる。清澄な響きだ。私は全身を耳にして聴き入る。この調べの中には、彼女たちの信仰生活の一切、すべての想いがこめられているのを実感する。こうして、ジャイナ教研修センターでの、研修生活は始められた。
ここでの生活は予めプログラムが用意されていて、私たちは定められた時刻に定められた場所へ集合することになっていた。プログラムは綿密に組み立てられているので、てきぱきと移動しなければならない。講義、冥想実習、導師アチャリアとの接見質疑応答その他ラドヌーン市内の見学で構成されている。
(中略)
講義の合間をぬうようにして、食事が1日3回それにお茶の時間まで用意されていた。別棟の食堂で私達は壁を背にして横1列になり石床に敷いた布の上にすわる。 ステンレスの食器は床に直に置く。向かい合った人との距離は約1.8m。その間を若い尼僧が、次々に食物をサービスしてくれる。
彼女たちは腰を折るようにして1人1人の顔を覗き込みながら、食器に料理が空になっていれば、さらに何度も勧めてくれる。私が最初に覚えたヒンデイ語は、「もう結構です。」という意味の「バス」という言葉であった。
私達はスタッフの方から、食事中も修行の一部であるから静かにいただくようにとの指導を受けていたが、ついつい隣人とおしゃべりに興じ、とうとう最後までこの癖は直せずじまいであった。
(中略)
夜行列車で到着したベナレスの町は、朝霧に包まれていた。ジャイプルやデリーの町とうってかわって、街並みの緑が瑞瑞しい。ここは、ガンジス河が町の中心を流れ、2500年の歴史を誇る古都だ。聖なるガンガに詣でるため、インド各地から、ヒンズー教徒が絶え間なく訪れる。
私たちの見学は、サルナートからだ。約10キロメートルの道のり。ここは、釈迦が初めてダルマを説かれた地として名高い。私達はまず、ムラカンダクテイ寺院を見学。堂内は、釈迦の誕生から入滅までの一生を示す美しい壁画で飾られている。見学後、近くの小さなみやげ物店で、一行は、数珠を買い求める。
ガイド役をして下さっている、タチヤ夫人の一声で、急に値段が半額近くになるのが面白い。
寺院を出ると、右に巨大な仏舎利等(ダーメクストーパ)がそびえたつ。その周囲は、仏教を保護したといわれるアショカ王時代の遺跡群である。なかでも目を引くのは、現代インド紙幣に印刷され、国章となっている石柱柱頭を飾るライオン像である。本物は、すぐ近くの博物館内に展示保存されている。
タチヤ博士ご夫妻は、終止私たちの先頭に立って、丁寧に案内説明して下さった。
翌朝訪れたガンガのガート(木浴場)は、まだ闇の中であった。私たちが小船に乗り込み、ガンガに漕ぎ出した頃ようやく徐々に明るくなってくる。日の出とともに沐浴の善男善女の数が増している。前方に立ち上る白煙が見える。ここでは24時間、煙の絶えることがないという。死者の遺灰はガンガに撒かれる。
ガンジス河に別れを告げた私達は、一路ブッダガヤへと向かった。
バスにゆられて6時間余り。ブッダガヤ到着は日の沈む頃となっていた。そこは、釈迦が、長年の苦行を経て悟りを開かれた地である。ホテル到着早々、私達はここで思いもかけず、タチヤ博士の講義を受けることになった。そのように手はずが整えられていたのである。題して「釈迦の悟りについて」。ちょうど良い(またとない)場所で、ちょうど良い(またとない)碩学から、ちょうど良い(またとない機会を授かったのである。遠い道のりを同行されたタチヤ博士とこれを企画されたツアーリーダーの龍村氏に深く感謝。
講義は英語でなされたが、通訳の方の力量に助けられ、釈迦が悟りを開かれるまでの歴史とその内容について、8ツの原則に分けて分かりやすく教授してくださった。思わず講義内容に引き込まれ、長旅のつかれも癒される思いであった。
一夜明けて、釈迦が苦行の末、食物を摂って冥想をさらに深めたというネーランジャー河のほとりを訪れ、 ついで、そこで大悟されたという菩提樹と大塔に詣でたたのであった。
(後略)

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